これは「ある」1960 13 という、布張りの厚紙表紙付きの生原稿を綴じた厚さ1.5cm、
表紙まで入れると2cmぐらいの厚さの「本」みたいなものに入っていた私の作品です。

 

「ある」へは、私は途中から入りましたので、13とあるのは、たぶん1から12までも
あるのでしょうが、それは見たことがありません。ですから私にとっては 1 のような
ものです。

 

私の原稿も万年筆で書いてあります。みんな万年筆で書いてあるのです。どんな万年
筆だったのか、いつ頃買ったのか、もしかするとこの「ある」のために買ったのかもし
れませんが、なんにもおぼえていません。見ていると、なんか、すいっ、ともうその中
に入れちゃって、いつまでもその中に入っていたくなって、なかなか写す作業にとりか
かれません。でも、これらのものを、いつまでも借りておくわけにもいきませんので、
始めます。

 

(一番最初のものを一番最後に写します。)
なんか、どうしてもそうなってしまって、今もこれは写さない方がいいかなとためらっ
てもいます。

 

'99.9.8


  

  

  

 回覧誌






ひとり        木村信子



あなたの去ったあとに 秋がぽつんとすわっていた しろいすすき
のような髪をすきながら (今あたしにやさしいのは風だけ)
もう一度 夏の海のおとをきこうと耳をかたむけても それは遠す
ぎた
太陽がまぶしすぎたので みんなうそだとわかっていながら 平気でその中によっていた
あのときのうつくしかった貝がらは どこかの子供がひろってしま
ったろうか
それともまた海の底へ帰って行ったのだろうか

うつろな胸のなかを さやさやと
ベーヂ色の風が吹いていった
出だしからこんなの、すごくいやだけど、選択していると、書くものがなくなってし
まいそうだし、ぜんぶ無視するのもちょっとくやしい、ので、ぜんぶ直しなしに写すこ
とにしました。(なかなかたいへん)

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ゆめどろぼう     木村信子



毎晩わたしのゆめを盗みに来る鳥がいた
彼のくちばしはわたしのへやのかぎと同じらしいのだ
ゆめのなかではみんなやさしかった
うらぎって行ったひとも
死んだ母も
わたしをひねくれらしたおばまでが──
そしてわたしもすなおだった
だからやさしさとすなおさにうえているわたしは がつがつしすぎ
て ゆめどろぼうのことなど忘れてしまうのだ
朝おきると またゆめのつぼはもぬけのから
わたしはあいかわらずひとりぼっちで
ピッピッピッピッちょうしっぱずれの口笛をふきながら
 ちんぴらどもを集めて
ゆめを盗むこつはねえなんてうそぶいている
これは、すでに印刷されたものとして書いてあるかもしれません。
順序として、初めはここにあったものです。

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秋         木村信子



きいろくなったふるい手紙 しろいしろいすすきの穂 旅立ったま
まのひとの面
そんなものが集まって秋をつくる

海辺で夏を焼く




ほほが青くすきとおって その中へあわてんぼうのゆめがおちこんで死んだ





秋はみんながどこかへ帰ってゆく
秋はうしろ姿だけが美くしい


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(次は)書き忘れではなく、題がないのです。

(当時)忘れたのか、つけられなかったのか、今では不明です。



うそをついてきて たばこに火をつけた
煙の中で さっきのうそが冷く笑っている
〝だましたと思っているのかい 
ほんとうにだまされたのはおまえなのに〟
おたがいの顔はみえなくて なまぬるいときだけがただよっていた
明るすぎるのだといったら 灯を消そうといった
それでもまだ明るすぎた
もういちど消しても また消しても まだ明るすぎた
とうとう顔が見えないまま 夜は終ってしまった

あたしの匂いしかしないべっとの中で むなしい煙をはく
(あれはうそのつもりで真実ではなかったのか)
ゆうべみるはずだったゆめが あたしのほほをはげしくなぐった

<<なんか通俗な出来事が背景にあるような詩ですが、この頃(ずっとそのままですが)
何もありません。まじめな中学生の女の子のことでした。
たばこがでてくるのは、東京へ来てからできたちょっと不良っぽい女の友達から
「東京ではね、たばこぐらい吸えないとばかにされるのよ」と言われたので、
ぶったおれぶったおれ、たばこの吸い方を習ったのです。その頃の詩だと思います。
この友達、きっすいの下町っ子で、
お姉さんの夫を愛人に(のつもりだったのかもしれませんが)、
若い男の子をステッキボーイに持って、あんたも男のひとりぐらいいなきゃね、
と言われたのですが、それはだめでした。
彼女はそのステッキボーイと結婚しました。
                             (9月8日)>>

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ゴッホ        木村信子



何か本の批評を書きなさいといわれても、私はあまりまとまった
本はよまないので書けません。これはおととしごろ、日本でゴッホ
展をやった時、みてきて書いたものです。この間、少しノートの整
理をやったらあったのです。

昨日はゴッホ展を見て来た。はじめの頃はとてもこんでいたとい
うので、もうゆっくり見られるだろうと思っていたら、キップを買
うのに長い長い行列だった。
ゴッホの絵はどうみても狂人という感じはしない。現実にぴった
りよりそって、現実をありのまま画いている。
初期の頃のものは、しずんだ暗さをもっていたが、それはけして
感傷ではない。生涯を通じてゴッホには感傷などなかったようだ。
あまりきびしすぎて感傷になどひたっていられなかったのだろう。
パリ時代になると、おどろく程明るいものを感じた。
糸杉は少し異様な感じがした。けれどけして狂っているのではな
い。本当に狂っていたらあんなに苦しまないはずだ。狂っていない
から苦しんだんだとおもう。
ひまわりはむしろ力強い、たくましい感じがあった。
全体を通して──彼にとっては、人間も草木も同じもののようだ。
木や草が持っている無表情さを、人間の中にも画き、人間の持つ感
情を木や草の中にも画いた。
これは二年前の感想です。

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犬          木村信子



犬に詩をよんでやったら 石ころみたいなあくびをした

空があんまり深いので そのなかにとびこんでみようかとおもって
かけだしたら 犬があとからおいかけてきて わたしをおいこして
本気で喜んでいた

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ぐうたら



ちっぽけなわたしなのに
書いても書いても書いても書いても書きたりないぐうたらさ
たった一行にじぶんをじゅうぶんに書いてみたい
あと幾百枚 幾千枚書いても とうていできそうにもない
 ぶよぶよ 水ぶくれなわたし

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(次は)この(原稿の初めの)二行が白紙、何も書いていない。


風変りといわれる。前は気にしたけど、この頃はあまり気にしない。
自分では何も変ったことをしてないのだから、どうしようもない。
ただわがままで気まぐれなだけなのだ。
できるだけひとにめいわくをかけないようにとおもっても、
おもうだけで、手あたりしだいにめいわくかけちゃうけど、
弱いからで、かなしいけどしようがないのです。
正直にしようとおもいながら、嘘ばかりついているのは、
人間生まれながらに嘘をつかなければ生きられないように
仕組まれているからです。
人間は、嘘、衣、食、住、この四つを欠かしたら一日も生きられません。
嘘はともかく、衣食住を欠かしたら生きられないなんて、
まったく百姓からぬけられないのです。今でもです。
空気とか恋とか言える女でありたかったと、
今思います。
ずうっと、一生、空気はともかく、
恋はなくても衣食住に固執するあわれな愚女です。
嘘について、なんでこんなこと書いてあるのか、
私は嘘をつかないのではなく、嘘もつけないのです。
きっと、わずかなことに気を病ってこんなこと書いたのでしょう。
今、これをひらくまで、こんなこと書いてあったなんて思ってもみませんでした。
 9月8日

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(無題)



舞台装置をしているうちがいいのですね。
おしばいがはじまってしまえば、終ったも同然。
たとえ途中で失敗であったことに気づいても、
そのまま幕が下りるまでつづけなければなりません。
けど、どうにかお客様をごまかすことは出来ても、自分をごまかす
ことはむづかしいものですねえ。
それが出来るようになれば、ああほんとうに
それが出来るようになったらいいんだけどなァ。

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(次も無題)



大人であることがかなしいのぢゃありません。
大人のふりをしようとおもっても、子供から抜けられないことがか
なしいのです。

痛めつけられるのぢゃなくて、その位のことに傷つくのが弱すぎる
のだといわれます。

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少女         木村信子



少女は いつもいたずら坊主のひざこぞうのように
すりきずがたえなかった
どろだらけのまま それは少女にとってくんしょうであった
雨にぐしょぐしょ歩いていた
風にさからって走っていた
花をむしるのが好きだった
虫を殺すのが好きだった
ある朝その傷は破傷風になっていた
だあれもつめたかった
少女はひとりでほうたいをまいた
少女はもうその傷に自分の手がふれるのも恐れるようになった
ほうたいはだんだん汚れていって もうだれもそこに傷があったこ
ともほうたいがまかれてあったこともわすれていった
少女はこっそりほうたいを解いてみた 
そしてまだ傷がよくなおっていないことを喜んだ


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おいたち       木村信子



青白いヒステリックな赤んぼう
六つの女の子
くれよんのらくがきだらけのノート
ひかげのあおいとおもろこし
ピエロのかげぼうし
まがっている時計の針

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放浪         木村信子



あくびをしたら 口の中へ青空が広がって
そこにうかんでいる白い雲が わたしのゆめをさそって どこかへ
旅立っていった

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わたし        木村信子



おさないときの風船玉のように
痛みの中にゆめがあったのに

十七才のときのかたさのまんま
育だたないあおい乳房

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いゝわけ       木村信子



父がいった 詩を書くことをやめなさい と
ふるい手紙とノートを焼きすててきました
わたしの中は ますます海と空だけが広がっていきます
恋なんて一りんの花にすぎません
ときどきコーヒーとおさけをかけてやり
しおれちゃったらすてちゃうだけ
わたしが詩を書くのぢゃありません 詩がわたしの主人なのです
ほんとはわたしも詩なんかきらいです 健康的な女性でありたいし、
たあいないささやきに酔っていたいのです
けれど わたしの中におしよせてくる波にもがいているうちに
だんだん貝がらに似てきちゃったんです
(4行目「恋なんて……」に)この頃、私、恋する相手が見つかりませんでした。

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ききょう       木村信子



わたしはこどものころからむらさきという色が大好きで
ききょうの花が大好きでした
それを庭にまくと、母がおこるのです
そんな陰気なものはいけないと
どうして陰気なのか わたしはすきなのだから
 こっそり蒔く といつも母がほじくりかえしちゃうのです
だからとうとうききょうの花を咲かせることが出来ませんでした

ききょうの花
ききょうの花
わたしのだいすきな花
むらさき
むらさき
わたしのだいすきな色

それは母が亡くなった年の秋でした 
庭のずうっとずうっとかたす<みに
 ききょうが二りん咲いていたのです
それまで見たこともない程美しい紫でした
うち中のだれも蒔いたおぼえがないのです
植えたおぼえもないのです
ききょうの花
母がだれにも言わなかったうたを秘めて
むらさきの色

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〔六月の死〕



あたしが死んだら、位牌は朱ぬりにして下さい。
黒いのなんてまっぴらです。
仏段の上には純紫の正絹を敷いて、
その上にかざって下さい。
戒名なんていらない。唯のっぺら棒じゃおかしいかしら?
そしたらどうしようか。わからないから、
てきとうに何か書いて下さい。あたしにふさわしいものを。
その日の為に、白い下着なんていやです。下着はピンク、
着物は紫。どちらもあせやすい色だけど、
あせる前に消えちゃうからいい。
死ぬ理由だって?
へへへー生きてる理由はって問い返えされたら、
なんてお答えになりますか。

たった一枚の白い紙だった。
すべてそれに似ていた

六月の柩が行く。
あおい衣を着たひとたちの行列。
雨にぬれてきれいです。
さようなら。
美しかった六月。
短かったあたしの生涯。

あっ、えんぴつのしんが折れちゃった。

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〔たとえば〕



たとえばちっぽけなちぎれ雲
たとえばはんかけの虹
たとえばいじめられっ子がとばしたしゃぼん玉
たとえば落ちていた蝶の片羽
たとえばめくらのバク
たとえば蝶になる術を知らない毛虫
たとえばかじりかけの青いりんご
たとえば春の病葉

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(無題)



かなしいゆめをみました。
あたしが好きだった叙情画家の絵の中の人物がみんなしわだらけなのです。
その人の絵は、それが欠点なのか特長なのか、
正面を向いた人物の絵がひとつもないのです。
正面向きに画いてあっても、顔は必ず左か右を向いているのです。
そしてどの表情も、少し白痴じみていました。
久しぶりに少女雑誌をひらいてみたら、その人の絵がありました。
なつかしくなってながめていたら、
なんと、その描かれてあるどの少女もみんなしわだらけなのです。
めくるペイヂもめくるペイヂもみんなそうなのです。

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ここまで写して、あとは、どうにもいやになりました。もうほとんど無いのです。

 10月27日

 

 

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